みなさま、こんにちは。カウンセラーの林です。梅雨に入り、蒸し暑い日が続いています。学校では、子どもたちがマスクをしながら、大きなランドセルを背負って登校しています。見送る保護者の皆さんは、毎日祈るような気持ちで送り出されているのではないかとお察しいたします。私も学校で子どもたちの姿を見ることが出来るようになり、嬉しく思うと同時に、無事に過ごしてほしいと願っています。
さて、もうすぐ父の日です。私の父は約10年前に他界しましたが、毎年、父の日の前後には、母と思い出話をしています。今年はコロナの流行で世界中が大変な状況になりましたが、父が生きていたらどのように考えていただろうかと思います。今では、私の中で臨床心理士の先輩でもある父ならどうしていたかということが、行動の判断基準の一つになっていますが、思春期には随分と反抗し、心配をかけました。それもこの親なら反抗しても大丈夫という安心感がベースにあったから本気でぶつかることが出来たのだと思います。父は私がいくら反抗しても動じないように見えていたのですが、後で母に聞いたら、随分と悩んでいたらしいので、今更ながら申し訳なかったなと思います。
父とは私が中学~高校までの長い間、心理戦が続いていたのですが、父が教育分析を受けるためにニューヨークに行くという決断をし、帰国した頃には、普通に話し合える関係に戻っていました。ニューヨークには、私たち家族も一緒に行き、一週間ほど滞在しました。到着した日は雪で、タクシーで宿泊先まで移動する際に、ドライバーさんが道に迷い、地図を見せても分からない・・・ということがあり、結局、ドライバー仲間に聞いてくれて目的地には到着できたのですが、ちょっと怖い思いをしました。その時に、家族の結束が強まり、少しずつ父とのわだかまりも和らいでいったように思います。それと、日本とアメリカという、物理的な距離を置いたこともお互いに自分自身を冷静に見つめなおすのにプラスに働いたように思います。父からは定期的に手紙が届き、それに私たち家族も返信するというやり取りを続けていましたので、手紙のやり取りを通じて冷静に振り返ることが出来ていたとも感じています。
母が偉いなと思うのは、私がいくら父に反抗しても、決して父の悪口を言わなかったことです。母は私の言い分を聞きつつも、いつも父の尊敬できるところを話していました。この母の対応も父との関係修復に大きな役割を果たしていたと思います。もし、母が私と一緒になって父の悪口を言っていたら、関係修復出来ていなかったかもしれません。後に大学院の鑪幹八郎先生の精神分析の授業で、イメージ交差について聞く機会があり、その時にやはり、親が子どもの前でお互いの悪口を言うのは良くない、子どもの親イメージにも大きな影響を与えるというお話があり、母の対応は正しかったのだと思いました。
今となっては、両親には感謝の気持ちでいっぱいです。父には十分な孝行が出来なかったようにも思うので、その分、母に孝行できればと思っています。思春期で反抗期真っ只中のお子さんを持つ親御さんにも、私の経験がわずかでも参考になれば幸いです。
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